Last Updated on 2025年2月28日 by 成田滋
三省堂大辞林の第三版には、「碁に凝ると親の死に目に逢わぬ」という言葉の解説があります。極めて重大なことでも忘れてしまうほど夢中にな
りやすいものが囲碁だ、というのです。もし、こんなことになったら親族から総スカンをくらうでしょう。
「文七元結」という人情噺にも囲碁に夢中になる殿様と手代が登場します。この人情噺は古典落語の名作ともいわれています。文七は日本橋横山町のべっこう問屋・近江屋卯兵衛の手代です。手代は、番頭と丁稚との中間にある使用人のことで、大事な仕事例えば、注文取りや配達、集金などをまかされます。さしずめ営業マンといったところでしょう。この成績が良いと将来、番頭への道がひらけるのです。
江戸、隅田川の東岸は小梅村といわれ、梅の名所だったようです。そこに水戸藩の下屋敷がありました。文七は下屋敷へ五十両の掛け取りに出掛けます。ところが殿様が大の囲碁好き。文七は夜遅くまでつきあわされます。対局が終わり、近江屋に帰る途中、文七は吾妻橋でスリにでくわします。懐に手をやると五十両がありません。文七は途方に暮れ橋から身投げしようとします。
そこに通りかかったのが本所、達磨横町に住む左官の長兵衛です。腕はいいのですが博打に凝り、仕事もろくにしないので家計は火の車。博打の借金が五十両にもなり年も越せません。それを知った十七になる娘のお久が自分で吉原の佐野屋に奉公にいくのです。家に帰ると後添いの女房、お兼が泣いています。それをきいて長兵衛は佐野屋に出掛け、女将さんからきつく意見され、五十両を借りて家に帰ろうと吾妻橋にやってきます。
どうしても金がなければ身投げするよりないと文七が云うので、長兵衛は迷いに迷った挙げ句、これこれで娘が身売りした大事の金だが、お前の命には代えられないと、受け取りを断る文七に五十両の金包みをたたきつけます。さあ、家に帰るとお兼と夜通し喧嘩のしっ放し。それはそうでしょう。その頃、近江屋では文七がいつまでも帰らないので大騒ぎです。実は碁好きの文七が殿さまの相手をするうちに、うっかり五十両を碁盤の下に忘れていったのです。幸い水戸の屋敷から近江屋へ金子が届けられます。そこに長兵衛から五十両を貰った文七が帰ってきます。文七は貰ったお金だと言い出せず、近江屋から頂いたといいます。番頭が顛末を話すと文七は仰天して、吾妻橋の一件を残らず話すのです。
近江屋の旦那は、世の中には親切な人もいるものだと感じ入ります。そして吉原で奉公を始めたお久を身請けすることにします。五十両を長兵衛に返すとそこに駕籠に乗せられてお久が帰ってきます。大喧嘩していた夫婦はお久をみて大喜びです。文七は身寄りのない手代です。旦那は長兵衛のような心の優しい人に親代わりになって欲しいと頼みます。やがて文七はお久を娶り、マゲのもとどりを結ぶ紙ひもである元結の店を麹町に開くという噺です。人情落語の秀作といわれます。
元結は、髪の元を縛るものです。白く艶のある和紙で作られています。紙こよりを糊や胡粉などで練りかためて作ります。江戸時代には、公家は紫、将軍は赤、町人は白と、身分によって厳格に色が区別されていて、万一卑しい町人風情が赤い元結など結んでいようものなら、その元結ごと首が飛んだワケです。