Last Updated on 2025年2月15日 by 成田滋
「予測しがたい行動をとる」とはどのようなことかを説明したい。一人の子どもを観察するとする。子どもは学校へ行く前にいろいろなことを経験している。睡眠を十分とったか、朝食をきちんと食べたか、兄弟喧嘩がなかったか、親から叱られなかったか、その日の温度や湿度、ひいては天気も子どもの感情になんらかの作用を及ぼしている。当然、そうした登校前の条件が、その日の行動に反映される。さらに、勉強の具合はどうか、友達関係でうまくやっているか、そうした子どもの状況、言い換えれば変数は数限りなくあると考えられる。データとは変数に影響される帰結のようなものである可能性が高い。
このような事例は、子どもに限らず大人にもある。戦前では国粋主義やナチズムによる行き過ぎたナショナリズムや植民地主義の横行、独裁体制による言論統制、最近では尖閣列島の国有化に伴う宣伝と反日暴動など人間の行動を操作することがしばしば行われる。暴動の操作が終わるやいなや、改装された店に市民はこれまでどおり嬉々として買い物する姿が映し出されるという具合である。
実験といわれる場での行動は、恣意的に作られるという側面があることを銘記すべきである。どのような方針によってどのような手段を使ったのかを明示することにより、実験の再現性や追試が担保される。ある事象を成り立たせていると考えられる要因に言及するとき、同じ要因を条件としたときに、同じ事象が起こるかどうかが問題なのである。しかし、同じような条件の設定はきわめて困難である。同一の被験者を扱う場合、すでに被験者は日々成長し、課題や褒美を学んでいる可能性もある。実験する者は、そのことを十分理解しておかなければならない。