I.誰のためにサービスがあるのか –家族のごく普通の地域での生活のために–
II.最初に受けたサービス –米国でのサービス–
III.帰国後のサービスの現状 –米国での経験を生かして–
IV.サービスを自ら選択する時代 –親が必要とすること–
V.親がより良い選択を行うために –今後の課題–
——————————————————————
Ⅱ.最初に受けたサービス –米国でのサービス–
次男に自閉症の障害があると初めて分かったのは米国で生活していた時でした。1年間ほど、米国ボストンで特殊教育のサービスを受ける機会がありました。その後、1988年に日本に帰国して以来、米国での経験を踏まえながら、我が家にとり必要なサービスを考え選択しています。この15年前のアメリカでの経験は、帰国後の息子たちとの生活を組み立てる上で貴重な指針となっています。
1. 小児科医の定期診断から
家族で加入していた健康保険(HCHP: Harvard Community Health Plan)は、ボストン市内の何ケ所かにクリニックをもっていました。保険に加入すると、家の近くにあるクリニックに登録します。家族全員の定期的な健康診断がありました。次男は1歳半で渡米しましたが、2歳近くになっても言葉がなく、耳が聞こえていないのではと思うことや、対人関係についても少し他の子どもたちとは違うように感じることがありました。ただ、長男も言葉が遅かったこともあり、環境の変化もあったので小児科の先生とも相談して様子を見ていました。
2歳の定期検診の時、小児科医の勧めにより、聴覚検査と精神科医の診察を受けました。クリニックには専門医がいるので、簡単に検査や診察の予約がとれました。また、バイリンガルの問題も考えられるため,言語療法士によるアセスメントを受けることにしました。
このような検査や診察の結果、二男には特別なニーズがある可能性が明らかになり、ベルモント町の教育委員会に連絡するよう言われました。公費で正式なアセスメントと,それに基づく教育を3歳になったら受けられるとのことでした。
2. ベルモント町教育委員会のコーディネータ
教育委員会に連絡すると、教育委員会の言語療法士の資格をもったMs. E. が二男の担当のコーディネータになりました。彼女は親へのインタビュ、アセスメントについての手続き、学校についての情報収集係、相談相手になってくれました。彼女は、面接のたびにお互いにどのような話しをしたかについて簡単なメモを作成して、帰る時に渡してくれました。この彼女とのやり取りの経験は、その後、三男の障害を理解して適切な療育や教育の場を捜し、選択する方法を考えるにあたって大変参考になりました。
3. 3歳児のスクリーニング
二男は,Ms. E. との話し合いで、3歳児のスクリーニングを受けることになりました。そのスクリーニングは,ベルモント町在住すべての3歳児が対象で、親へのインタビューと子どもの観察がありました。その結果、正式なアセスメントを受けることになりました。
この結果、ボストン郊外にある知的障がいの研究教育センターとして知られるShriver Center でのアセスメントの結果を待ってから学校を決めたのでは、夏休み期間中に通う学校を決定することが事務手続きの上で間に合わないことがわかりました。ベルモント町の教育委員会は、HCHPのクリニックでの診断と言語療法士の診断と息子を何回か観察した結果、息子に学習する態度を学ばせる必要がある(He has to learn to learn.)という結論に達しました。息子の問題は何かと聞くと、教育委員会としては,見当はつくが、まだ正式なアセスメントが終わっていないので、息子の障害について何かコメントすることは公平でないと説明されました。
このようなアセスメントの結果、二男の教育の場として5、6件ほどの早期療育機関を紹介されました。教育委員会は,予算、通い易さなどからその中の一つを最終的に推薦しました。Ms. E.と見学にも行きました。話し合いの上で、Behavioral Intervention Projectというプログラムに通う事になりました。
4. Shriver Center でのアセスメント
Shriver Centerでのアセスメントの内容は、精神科医、臨床心理士、言語療法士、理学療法士、作業療法士による保護者への面接と本人の観察・テストでした。ソーシャルワーカーと看護婦は、自宅を訪れ面接を行いました。
最終的に全員の報告書が出揃うと会議が開かれました。まず、保護者に対して、精神科医、心理士、言語療法士、理学療法士、作業療法士、ソーシャルワーカー、看護婦各々の報告の後に、チームとしての総合的な診断の説明がありました。親の質問には、時間をかけて回答がなされ、保護者が質問しやすいようにと気を使っているのがわかりました。
親との話し合いが終わると、Ms. E. が呼ばれて、これから息子にどのような教育が必要なのかが説明されました。学習する態度を身につけるために、Behavioral Intervention Project のプログラムが教育の場として妥当との考えが示されました。
私たちは、このアセスメントを通して、息子の状態が良く理解できました。また、各々の分野の専門家との面接や、息子のテストに立ち会うことにより、子どもの発達に様々な側面があることを知りました。特に、自閉症障害の発達のアンバランスを理解する上で貴重な経験でした。
5. Behavioral Intervention Projectについて
このプログラムは、4歳から22歳までの、中度から重度の発達障害や行動障害のある児童・生徒を対象としていました。基本的な生活習慣の確立、学習、職業訓練(学校、地域での職場、下請けの仕事)を目的としてプログラムを行っていました。授業は公立の学校の教室で行なわれていました。学校への送迎は、居住している町の教育委員会の責任でした。家の玄関から学校までスクールバスで息子の送迎をしてくれました。
学校での観察が終わり、Shriver Center でのアセスメントが終わると,個別教育計画が作成され、それを親が承認する会議がMs. E.をも含めて行なわれました。個別教育計画では、知的な能力が高いとか低いとか、何ができて何ができないかは問題とされませんでした。子どもがどのような発達段階にあるのか、どのようなことをどのように教えることが必要で効果的であるかが、教師と親との間で話されました。本人がどのようなことができるようになれば、より彼の生活が充実したものになるかを考えながら作成されました。
個別教育計画の関係書類に署名した後に、担任は「私たちは親と各々の立場で、彼のために協力しあい連携するのです。なにかあったらすぐ気軽に声をかけるか、ノートに書いて下さい」と、言ってくれました。家で困っていることを聞かれたり、本人が興味をもっていることも担任の教師から聞かれました。これは、家族が家族として、障害のある子どもが積極的に家族の中で生活するためには、何が問題なのか、子どもがどのようなことができればよいのか、家族として何をさせてあげられるかを考えるきっかけとなりました。
主に、先生との連絡はお便り帳を通してですが、お互いに家や学校での様子などを書いたり、子どもができる課題について学校と家庭で協力できることを率直に書いたりしました。学年末には、1年間の子どもの変化について記録をもとに比較し、お互いに息子の発達を喜びあいました。
6. 米国での経験から
息子についてMs. E. やBehavioral Intervention Project のプログラムの教師と話す時は必ず、息子が今何を一番必要としているかを一緒に考えよう、保護者として何が一番困ったことなのかという問い掛けがありました。このようなやり取りにより、息子のニーズや家族のニーズについて考えたり、まとめたりすることができました。また、個別教育計画のおかげで家で取り組む目標が明らかになり、本人の発達にあった課題や躾けをすることができました。異国とはいえ、前向きな生活を送ることができました。
Wisconsin州のJeffersonにSt. Colettaという施設があります。Kennedy家の家族が住んでいたところです。毎年Kennedy財団が支援していることでも知られています。
「子どもがどのような発達段階にあるのか、どのようなことをどのように教えることが必要で効果的であるかが、教師と親との間で話された」というのは、含蓄のある示唆です。