心理学のややこしさ その十 荻生徂徠と西周

平凡社の「哲学事典」によると、西周は荻生徂徠に触れて開眼したといわれます。徂徠は日本思想史にあって政治と宗教道徳の分離を主張する画期的な考えの持ち主で、それは「経世思想」とか「経世論」とよばれました。「経世」とは、「経世済民」のことです。世を経 (おさ)め民を済(すく)う 「経済」の語義といわれます。

さらに西は気(物理)の重要性を認識し、気に基づいてその上に理(心理)を構築しようと考えたようです。やがてヨーロッパでコント(August Comte)やミル(John Stuart Mill)の他、ハミルトン(William Hamilton)の哲学史やスペンサー(Herbert Spencer)の社会進化論を学びます。コントからは科学の伸張の歴史的必然性を解く三段階の法則、スペンサーからは科学による知の総合を目指す実証主義、生物の発達だけでなく、制度や学問の細分化を進める人間社会の発達もこの進化の過程に他ならないことを知ります。

帰国してからは日本の近代化の推進、自然科学、社会科学、人文科学を含めた学術全体の統一的な理解が先決であると考えるのです。こうした思想に基づいて西は「百一新論」を著します。その中で、西は「法」と「教」を区別し、法は法律、経済、政治、教とは「人道の教」とします。学術全体(百教)は同一原理に帰するはずだと考えます。「学」は理論、「術」は実践であると定義します。