コンメディア・デッラルテが衰退すると、その遺産を取り入れた道化芝居がフランスで発達していきます。現在の道化役(ピエロ: pierrot)のイメージ、白塗りでちょっととぼけたキャラクターは、この時期のフランスの道化芝居から生まれたものといわれます。その後、時代の流れとともに19世紀後半にはこのような道化芝居も衰退していきますが、その流れを取り入れたジャン・ルイ・バロー(Jean-Louis Barrault)などが身体技法としてのパントマイムを洗練させていきます。やがてバローの生徒として、マルセル・マルソー(Marcel Marceau)が登場します。マルソーは後に「パントマイムの神様」「沈黙の詩人」と呼ばれ、今日のマイムの大衆化に大きな貢献をしたといわれます。そしてパントマイムを「沈黙の芸術–Art of Silence」として確立するのです。
ピエロとかクラウン(Clown)は、西洋の道化役のことです。原型はイタリアの即興喜劇コメディア・デッラルテの、のろまでずうずうしい居候の道化役ペドロリーノ(Pedrolino)です。17世紀後半にパリのイタリア人劇団によってフランス化され、白いだぶだぶの衣装を着て顔を白塗りにし、円錐形の帽子,黒い仮面、鳥の嘴のような大きい鼻を持ちシルクハットを被った小柄な老紳士プルチネラ(Pulcinella) が登場します。おそらくペドロリーノの後身であるピエロ〈悲しき道化〉だったようです。
ピエロは、男子名ピエール(Pierre) の愛称を名のって、歌と対話を交互に入れた通俗的な喜劇・舞踊・曲芸などのボードビル (vaudeville)やバレエで活躍します。19世紀にはボヘミヤ(Bohemia) 出身のパントマイムの名優ドビュロー(De Bureauがこの役柄をさらに洗練して、まぬけだが繊細なロマンチストで恋に悩み哀愁に満ちたピエロ像を完成していきます。またサーカスでは、より活動的な役柄であるプルチネッラ (Pulcinella)や即興劇のアルレッキーノ(Arlecchino)の要素が加えられ、イギリスのクラウンとも混ざり合って、ひだ付きの襟飾りと目や口の周りの赤い化粧が強調された道化師となります。そのいずれもが多くの作家や画家の題材にもなり、笑いのキャラクターとして定着していきます。