【話の泉ー笑い】その二十三 「ピーナッツ」と社会の多様性

1960年代は、一般に「ピーナッツ」の「黄金時代(Golden Age)」と考えられています。この時期には、ペパーミント・パティ(Peppermint Patty)、「第一次世界大戦の空飛ぶエース」としてのスヌーピー、「天然の巻き毛」のフリーダ(Frieda)、フランクリン(Franklin)など、よく知られたテーマやキャラクターが登場します。ピーナッツは、1950年代から1960年代前半に描かれた他の作品と比べると、特にその巧みな社会批判が際立ってきます。シュルツは、人種や男女の平等の問題をあからさまには取り上げませんでした。シュルツにとって、「権利は平等である」というテーゼは自明のことだったようです。チャーリー・ブラウンの野球チームに女の子が3人いたことも、少なくとも10年は時代を先取りしていたといえるのです。当時、女性が野球をすることはなかったのです。ペパーミント・パティのしなやかな運動神経と自己肯定感は当然のことであり、女性の進出は当たり前だと考えていたのです。

Franklin and Charlie Brown

1968年7月にシュルツはロサンゼルスの白人教師ハリエット・グリックマン(Harriet Glickman) の勧めで、アフリカ系アメリカ人のキャラクター「フランクリン(Franklin)」を4コマ漫画に登場させます。1968年はテト攻勢(Tet offensive) が始まりベトナム戦争の潮目が変わる頃です。シュルツは、黒人のキャラクターを加えることはアフリカ系アメリカ人のコミュニティを見下すことになると懸念しましたが、グリックマンは、黒人のキャラクターを加えることは、異なる民族の子どもたちの友情という考えを広めるのに役立つと説得したといわれます。フランクリンは、海辺を舞台にした3部作に登場し、まずチャーリー・ブラウンのビーチボールを水中から取り出し、その後、砂の城を作るのを手伝い、その間に父親がベトナムにいることを口にするといった場面が出ます。フランクリンが近隣に住み、地域の学校に通うのも当たり前のこととして描きます。フランクリンの誕生は、1968年にシュルツが社会主義的なファンとの間で交わした手紙の結果であったといわれます。

シュルツは、他にもさまざまなテーマに対して風刺的な言葉を投げかけています。彼の子どもや動物のキャラクターは、大人の世界を風刺していきます。長年にわたり、彼はヴェトナム戦争から学校の服装規定、「新しい数学(New Math)」まで、あらゆることに取り組んでいきます。1962年5月のあるトピックには、「自由を守れ、アメリカの貯蓄債券を買え」と書かれたアイコンまでありました。1963年には、「5」という名前の少年をキャストに加え、その姉妹は「3」と「4」という名前とし、父親は彼らの家族名を郵便番号に変更するというコマを描きます。シュルツは、番号が人間のアイデンティティを支配する手段になると懸念し疑問を投げかけるのです。

また、近所の子どたちが雪だるま作りのリーグに参加しますが、チャーリー・ブラウンがリーグやコーチなしで自分で雪だるまを作ろうとするのです。ですがリトルリーグは、チャーリー・ブラウンらの行動を批判する場面があります。シュルツは、大人が支配するリトルリーグやお膳立てされた「組織的な」遊びを揶揄するのを忘れません。

「ピーナッツ」では、特に1960年代には、何度も宗教的なテーマに触れています。1965年のテレビ番組「チャーリー・ブラウン・クリスマス」では、ライナス・ヴァン・ペルト(Linus van Pelt)が欽定訳聖書(King James Version of the Bible)(ルカ2:8-14)を引用して、チャーリー・ブラウンにクリスマスとは何かを説明しています。シュルツは個人インタビューで、ライナスは自分の精神面を表していると述べています。「チャーリー・ブラウン・クリスマス」では宗教的な内容が明示されているため、シュルツの作品には明確なキリスト教のテーマがあると解釈する人も多いくらいです。