ロシア文学の一部といえるかどうかは分かりませんが、ロシアの小話はロシア史の激変に敏感に反応しているようです。その時々の社会的、政治的な問題を強烈に反映しているといわれています。大日本百科事典によれば、ロシアは西欧諸国と比べると、歴史的な連続性を欠き、そのため安定した統一のとれた多様な文化を生み出すことができなかったともいわれます。その代わりに、豊かな口承文学であるフォークロー(folklore) が民衆の間に代々伝承され保持されてきました。「ブイリーナ」と呼ばれるロシアの民衆叙事詩、おとぎ話、伝説、歌謡は洗練された響きを持つと評価されているようです。
イワン四世(Ivan IV)からピュートル大帝(Peter the Great)、そしてスターリンに至る専制、弾圧、粛清のもとで人民はあえぎました。社会の後進性、立ち後れた制度、農奴制といった社会的な矛盾に人々が苦しむという歴史的状況はロシア文学は切り離せまないようです。社会評論や政治的発言の場がなかったことから、文学が唯一の演壇となったといわれます。識者らは、文学批評を通して文学作品を解説し、検閲の目をかすめて政治的、社会的発言をその中にしのび込ませる方法をとったのです。そのようにして、文学は「ロシア帝国の法と反体制との闘争の最も重要な果たし合いの場となった」といわれます。
1973年にフランスで発刊されたソ連の作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィン(Alexander Solzhenitsyn)の「収容所群島」という記録文学はその代表といえそうです。当然ながらソ連では禁書扱いとなりました。ソルジェニーツィンは1970年にノーベル文学賞を受賞し、1974年に市民権を剥奪されて西ドイツへ国外追放されますが、ソ連崩壊後の1994年に帰国します。
1956年、第20回共産党大会の秘密会議においてフルシチョフ(Nikita Khrushchev)がスターリン批判の演説を行い、いわゆる「雪解け」時代に入ります。国内では非スターリン化が推進され、粛清の犠牲者の名誉回復、言論などの取締りの緩和により国情が変わります。ソルジェニーツィンは7月に流刑から解放され無罪となりました。