「幸せとはなにか」を考える その2 不幸だと考える社会は、、

若い世代からみると、高年齢の人の生活水準は高く見えるらしい。一握りの人は、そうかもしれないが大概の高齢者はそんなことはない。友人が飲みながら「あなたは人生の勝ち組だ」といったのが妙にひっかかっている。「どうして?」ときくと、公務員だったので年金がきちんともらえるからだという。公務員といってもピンからキリまである。筆者のように人生を徘徊し遠回りしてきた者の年金額は生活保護費のようなものだ。

調査によると、ある程度の資産を持っている中高年すら幸せを感じられなくなっているようだ。恐らくがむしゃらに働き、もしかしたら趣味を広げるとか、スポーツを楽しむとか、ボランティアをするとか、人脈作りをすることを忘れたせいかもしれない。退職すると特に付き合いというつながりはガクンと減る。中高年が不幸だ、と感じる社会はどこか変だ。

我々はどうしても、周りが豊かで幸せな生活をしているのではないかと感じる。そして「自分は惨めだ」という気分に襲われがちになる。周りの人の生活水準を意識するから不幸感がやってくるのである。クリスマスや正月の時期が最も自殺率が高いのはその現れである。

「幸せ」とか「不幸」ということは一体なにか。物質的な生活とか、友達関係とか、高齢化とか、仕事の安定さとか家族の絆とか、、そうした周りの状況に左右されがちだ、ということは理解できる。だがそれでは本題のテーゼに迫ることが難しいような気がする。

これがあれば本当に幸せと思える物は何ですか
tm_08092005 (3)

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