クルト・レビンとT-groups

この欄で社会心理学者のフェスティンガー(Leon Festinger) を紹介しました。彼の学術上の成果を生んだのは指導教官であったクルト・レビン(Kurt Lewin)です。彼もまたユダヤ人の家系です。ポーランドで生まれやがてベルリン大学 (University of Berlin)で学位をとります。

しかし、ナチスの政権掌握によりレビンなどユダヤ人の学者は大学から追放されます。1933年にアメリカに亡命し、その後はスタンフォード大学 (Stanford University) やコーネル大学(Cornell University)、アイオワ大学 (University of Iowa)で研究し始めます。やがてベルリンに残した家族もアメリカに呼ぼうとしたのですが、母親がユダヤ人収容所で亡くなったことを知ります。

専制型、民主型、放任型といったリーダーシップのスタイルや集団での意思決定の研究を「場の理論」(field approach) 基づいて進めます。我が国で1970年代に盛んにとり入れられたのが集団力学と訳されるグループダイナミックス(group dynamics)の実践で、特にリーダーの養成のアクションリサーチ(action research)として「Training-group」が使われました。企業や団体の指導者訓練で、理論的な考えをまとめた「A Dynamic Theory of Personality」という著作は特に知られています。

レヴィンはゲシュタルト心理学 (Gestalt Psychology)を人間個人だけでなく集団行動にも応用したことで知られています。集団内における個人の行動は、集団のエネルギー場、すなわち集団がもつ性質やどんな成員がいるのかといったことによって影響を受けると考え、これによりグループ・ダイナミックスが生起すると考えのです。グループ・ダイナミックスはやがて感受性訓練(sensitivity training)などにも応用され、臨床的分野へと広がっていきます。交流分析(Transactional Analysis)もグループにおけるセラピーの手法といわれ良いコミュニケーションを図るために用いられています。ゲシュタルト心理学については、後の心理学者のところで紹介することにします。

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日本にやって来て活躍した外国人 その一 西洋言語の到来

この稿からしばらく、日本で活躍した外国人の歴史を取り上げいきます。大勢の外国人が日本にやってきました。こうした人々は高い識見や知識、あるいは東洋に深い関心や興味を持って、何千マイルの彼方からやったきたのは間違いないことです。

こうした外国人は、主として交易や布教などを目的としてやってきたことが伺えます。後に食糧や水の供給、教育の普及を求めてきます。いわば探検家や開拓者のような人々です。

最初に日本にやってきた人々は、主にカトリックの聖職者でした。彼らは、神学校などにおいて哲学や自然科学、医学、工学などを学んでいましたから、当時の日本人、とりわけ大名や武士には、その知識は驚きをもって迎えられたに違いありません。

聖職者らは、数々の献上品を持参していました。その中には親書や聖書、世界地図、地球儀、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、その他小銃など日本には無かった品々が含まれていました。

そしてなによりもポルトガル語、スペイン語、オランダ語、英語などをもたらします。言語は知識を伝播する源となります。日本が文明開化していくのは西洋の言語を学び、さまざまな知識を吸収していく過程といえましょう。

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