二文字熟語と取り組む その44 「重畳」

27015520 big-unit-1053823822 t-f畳は、皮畳、絹畳、むしろ、こもなど敷物の総称です。平安時代には既に今使われているような畳が布団のように使われていたようです。当時これらは大変な高級品で、一部の特権階級に愛用されていたとか。それはそうでしょう。鎌倉時代から室町時代にかけ、書院造りが生まれて、部屋全体に畳を敷きつめるようになりました。庶民に畳が普及したのは江戸時代。畳職人の活躍が江戸の下町を舞台にした小説にしばしば登場します。

畳の材料はイグサ。非常に高い吸湿性を備えています。湿気の多い部屋では水分を吸収し爽やか、乾燥した場合には、蓄えた水分を放出する特徴があるといわれます。昔の畳はゴワゴワしていました。すべてイグサ作りだったからです。今の多くの畳にはベニヤ板のようなものが入っているので踏んでもふわふわしません。

次に畳縁、へりについてです、絹や麻などの布地を藍染め等の食物染にしたものです。 畳縁には、格式を重んじて家紋を入れる「紋縁」というものもあります。これは格式の高い仏間や客間、床の間等で使われてきました。家紋を入れることによって、家のステータスを示しました。紋様は寺社、宮家、武家、商家などで違い、その身分を表す文様や彩りが定められていたようです。

畳の縁を踏まないことが武家や商家の心得とされました。特に家紋の入った畳縁を踏む事は、ご先祖や親の顔を踏むのと同じこととされました。「畳の縁は踏まない」ことが「相手の心を思いやる」ということの表れだったようです。

長い前置きとなりました。「重畳」という語があります。畳が普及し始めた頃の床は、今で言うところのフローリングのような板の間で、人が座るところに敷かれていただけだったそうで、その畳を重ねることができるのは出世を意味し、それで、「この上もなく満足なこと」「大変喜ばしいこと」とされたという説があります。はなはだ好都合なことなど、感動詞的に用いるのが「重畳」です。「重畳、重畳、、、」といった塩梅です。

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二文字熟語と取り組む その43 「糊口」

images bc62d25b Einreise italienischer Saisonarbeiter, Brig 1956#Italian seasonal workers when entering into Switzerland, 1956日常あまり見かけない難語を取り上げています。取り上げる順序は全くランダム。時代小説を読みながら見慣れない語を拾い上げては字典で調べています。時代物の熟語は通常使うことが少ないので、使ってみたくなります。

「糊」は、米や穀物がほとんど入っていないような薄いお粥のこと。澱粉糊などの洗濯糊、防染糊、接着剤などにも使われます。「糊」にはうわべをなすという意味もあります。その場を何とか取り繕うことが「糊塗」です。
「今日まで巧みに世間の耳目を糊塗して居た」

「糊口」は「餬口」ともいいます。口を糊する、粥をすする意があります。くちすぎ、生計(たっき)をたてることです。慣用句として「糊口を凌ぐ」、「糊口の道が絶たれる」といった表現です。身過ぎ世過ぎする、露命をつなぐ、細々と暮らすという按配です。

現代の格差社会において「糊口を凌ぐ」生活をする人々が大勢います。「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」ワーキングプアのことです。年寄りも若者も将来の不安を抱えています。保育士で結婚しても子供をつくれない人もいます。最近は貧困から生まれた「介護殺人」という事件も報告されています。低所得者への所得分配の不平等が起きている恐ろしい時代です。

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二文字熟語と取り組む その42 「剣呑」

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時々、辞書を見るまでは熟語の成り立ちはわからないことに気がつきます。「剣呑」(けんのん)という語もそうです。もともともは「剣難」だと広辞苑にあります。「剣難」がなまって「剣呑」になったというのですからわからないものです。「剣呑」とは当て字なんだそうです。佐伯泰英の時代小説にこの語がしばしば登場します。

「剣呑」は、あやういこと、あやぶむこととあります。刀などで殺されたり、傷つけられたりする災難のこと。語の使い方はいろいろあるようです。次のような例文があります。「化けの皮があらはれんと、しきりに剣呑に思う」。自分の過去がばれないかびくびくし、不安に苛まれるという意味です。

漱石の「道草」にも「兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして借りる必要もあるまいからね」という文章がでてきます。「道草」は漱石の自伝的色彩の濃い作品といわれます。「道草」の主人公、健三という男がどうも漱石らしいのです。留学から帰った健三は大学教師になり、忙しい毎日を送ります。彼の妻お住は、夫を世間渡りの下手な偏屈者とみています。健三は相当な美人好みで、何やかやと女の美醜に見識を持っていることも書かれています。

そんな折、かつて健三夫婦と縁を切ったはずの養父島田が現れ、金を無心します。さらに腹違いの姉や妻の父までが現れます。兄は人生に疲れた小官吏で、金銭等を要求するのです。健三はなんとか工面して区切りをつけますが、その苦労に慨嘆するという話です。それが、「兄貴だって金は欲しいだろうが、そんな剣呑な思いまでして、、、」という台詞です。

二文字熟語と取り組む その41 「柿落」

toukan14 010 imagesもともと「柿」とは「こけら」といって、材木を削るときにできる細長の木屑のことです。

新築や改築工事の最後に、屋根や足組みなどの「こけら」を払い落としたところから、新築または改築された劇場で行なわれる初めての興行という意味で使われるようになりました。新築落成を祝う最初の幕開けをいいます。

「柿落」が使われるのは、人が大勢集まり興行をする完成した建物のお披露目のとき。通常の民家やマンションの新築では使われません。

「こけら」の漢字「柿」は「柿」とほとんどおなじですが、別字だとあります。「柿」の旁りは鍋蓋に巾、「柿」は旁の縦棒が一本となっています。鍋蓋ではありません。

蛇足ですが、「落柿舎」という遺跡が京都の嵯峨野にあります。元禄の俳人向井去来の住まいだったようです。「柿落」という熟語とは全く関係がありません。m(-_-)m

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二文字熟語と取り組む その40 「豪儀」

d6a8b25e images kaguya_samp豪気とか強気、壮大といった意味の同義語です。「豪儀」には次のような形(なり)があるようです。
1   威勢がよく立派なさま
2   頑固で強情なさま
3   甚だしくよいこと

威勢がよく立派なさまは、例えば巨額の寄付を指して「豪儀だな!」、頑固で強情なさまは、「豪儀な性格だ」、程度のはなはだしいさまは、「この牛肉は豪儀にうめえ!」といった按配で使われます。

「豪」「豕」と音符「高」を合わせた字で、「やまあらしー豪猪」が原義です。その他に、きらびやかという意味もあります。通常、次のような熟語に見られます。
1   すぐれて力強い、勢いが盛ん 「豪快、豪傑、豪族、豪放、豪勇」
2   能力や財力などがぬきん出た人 「文豪、剣豪、酒豪、富豪」
3   並み外れている  「豪語、豪雪、豪奢」

「儀」とは進退動作の上で手本とすべきもの、作法に従って進退すること、かたどること、ことがら、わけ、といった意味を表す漢字です。

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二文字熟語と取り組む その39 「婉然」

images IMG_3398 0女性のしとやかで美しいさま。しなやかなさま たおやかな様の熟語です。にっこりとあでやかに笑うさま。美女の微笑にいい、女性のしなやかさを表すといいます。

「婉」の訓読みですが、「うつくーしい」、「したがーう」とあります。すなわち、
1 あでやか、しなやかで美しい
2  したがう。すなお
3  おだやかで、ものやわらか。遠まわし、婉曲

婉曲とは (1) 従う、飾る、めぐる、うごかす、(2) それとなくおだやかにいう、とあります。藤堂明保氏の編集による「新漢和辞典」によりますと、”「宛」とは女子がつつましく廟中に坐している形、その姿を「婉」という”とあります。

同音語の「嫣然」は、(1)  あでやか (2)すらりとして美しいという意味です。「艶然」は美しい女性が色っぽくにっこりと笑っていることをいいます。「嫣然として一笑すれば、陽城を惑わし下蔡を迷わす」という故事もあります。なお、「陽城」とは僧侶とか座主、「下蔡」とは知事にあたる県令のことです。「嫣然」とした女性に男性はすべからく惑わされる様をいいます。

「婉辞」はものやわらかにいうことです。とにもかくにも「字訓」で女偏の漢字を調べると161字もあります。はやり「女」は漢字の中で人気を独り占めしています。色々と話題に富むからでしょう。それも頷けます。

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二文字熟語と取り組む その38 「籠絡」

img_0 77cbed23 mig他人をうまく丸め込み自分の思うとおりに操ることが「籠絡」です。どうも先日の都知事の辞任という話題がいまだに尾を引くせいか、この熟語が話題になります。知事の権限を乱用して好き勝手に振る舞うことは、周りを籠絡できたからです。

「籠」とは竹でつくられた土を運ぶもっこのことです。訓読みはもちろん、カゴ、こもるという具合です。「絡」とは「ひっかけてつなぐ」という意味です。

「政を得てより士大夫、其の籠絡を受けざる無し」というフレーズがあります。周りの意見や注進に動かされず、自分の考えで政務を行う、という意味です。「士大夫」とは科挙を通った官僚とか地主のことです。

ついでに、駕籠という漢字ですが、「駕」は乗り物、他より上に出る、という意味です。「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というフレーズが江戸時代に流布しました。階級や貧富にはいろいろあって、その境遇の差は甚だしいということのたとえです。

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二文字熟語と取り組む その37 「股肱」

2010102820344028f P1160733 20200000013920144736279425187_s「股」はもも、「肱」はひじ。「股肱」で手足の意です。主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下とか腹心にことです。自分の手足のように信頼している忠義な家来といえば、豊臣秀吉にあっては石田三成、徳川家康においては本多正信、上杉景勝にとっては直江兼続らの重臣といったところでしょう。「股肱の臣」というフレーズがあります。
「我を以て元首の将となし、汝を以て股肱の臣たらしむ」(太平記から)

「肝」という漢字の「月」の部分は、見掛け上同じ形をしています。しかし、「肝」という漢字の「月」の部分は、本来は「肉」という字です。「肉(にく)」が偏(へん)になるときには「月」の形になり、肉月(にくづき)と呼ばれるのです。

「つきへん」を部首とする漢字は「朗」「期」「朧(おぼろ)」など月といった天文的事象や日にちなど暦に関することが多く、「にくづき」を部首とする漢字は股、肱の他に「脚」「肘」「肥」など身体部位やその状態に関係することが多いといえます。

「服」の月ですが、「字源」によればもとは舟の添え板の意味から生まれたようです。そして舟に関係する漢字をつくります。「ふなづき」の由来です。

「にくづき」は二本線がぴったり両側につく、「ふなづき」は点々を書く、「つきへん」は右側が開いている、というのが正確な書き方であるという説もあります。残念ながらワープロで使うフォントではこの違いはでてきません。常用漢字ではこのへんの違いがないのかもしれません。手書きの良さ、素晴らしさはこの微妙な表現にもあるといえましょう。

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二文字熟語と取り組む その36 「忖度」

esyaku koujien ec9e48aefbc64e5f93388bd351cc21a2-300x184広辞苑で「忖度」を調べると「他人の気持ちをおしはかること」とあります。

「忖」は心と音符の寸からなり、指をそっと置いて長さや脈をはかるように、気持ちを思いやること、慮るとあります。「寸」は手の指を四本並べ長さの一本分で「はかる」、「おもう」という意です。昔は手尺や指の幅で長さをはかりました。「心をもっておしはかる」意が「忖」ということになります。
「他人に心あり、予これを忖度す」(詩経)

「度」ですが、仏教において「渡る」と同じ意味で彼岸に渡るの意味に使われるとあります。悟りを得させる、彼岸にわたす、頭をそって仏門に入るという意味でます。僧侶となるための出家の儀式が「得度」です。他の意味として、のり、ものさし、目盛り、おきてなどがあります。そこから、法度とか制度という熟語が生まれます。、

「忄」は心が偏になるときの形。感情、意思に関する部首です。りしんべんの名称は「立心偏」に由来します。心をものさしで測るといった按配です。

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二文字熟語と取り組む その35 「杜撰」

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「杜撰」(ずさん)の出典は、南宋の王楙が著した「野客叢書」。王楙は1100年代の詩人とあります。叢書とは本のシリーズのことです。そこに「杜默 為詩、多不合律」という一節があります。南宋の首都は臨安。地図をみると現在の杭州で上海の南に位置しています。日本は鎌倉時代です。

「杜」は「杜黙」という中国の詩人、「撰」は詩文を作ることを表します。杜黙の作る詩には、作詩の規則である律を外れたものが多かったことから、誤りが多い著作を意味するようになったというのです。

「杜撰」は次のような様です。
1 著作物で典拠が正確でないこと、誤りが多い著作
2 手をぬいたところが多く,いい加減であること

このように「杜撰」は、杜黙の詩は詩の形式に合わないものが多かったという故事から由来します。自分の名前が、このような熟語になろうとは本人も驚いているでしょう。

「杜撰」といえば、やっつけ、粗雑な 、行き当たりばったり、 雑ぱくなといった類似語や表現が浮かびます。 「杜撰」の「杜」は、本物でない、仮の意味という俗語であるという説もあります。

二文字熟語と取り組む その34 「首長」

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先日、テレビのコンメンテータが「首長」という語を「くびちょう」と呼んでいたのに少々驚きました。一般には、都道府県の知事や、市町村、特別区の長を指して使われています。発音はもちろんシュチョウです。シュは「首」の音読み、チョウは「長」の音読みですから、この熟語は、他の熟語と同様に2文字とも音読みで発音されるのです。高校のときまで、二文字熟語は訓読みか音読みであると教わってきたので、私は「くびちょう」に驚いたのです。

ところが「化学」と「科学」を区別するために「化学」を「ばけガク」と呼びます。他にも「私立」と「市立」が紛らわしいので「わたくしリツ」「いちリツ」と読み分けたりします。このような変則的な読み方がされるのは、同音異義語が多いからでしょうか。

「くびちょう」に戻ります。テレビで「しゅちょう」と発音されたとき、「市長」とか「首相」と聞き違えるかもしれません。読み上げテキストの脈絡で、どちらの「首長」かは判断できますが、「くびちょう」の響きはどうも違和感があります。今、「くびちょう」を呼ぶのは定着しつつあるようで、ささやかな抵抗をしたい気分です。

お役所用語か放送用語かは定かではありませんが、市長や知事にとっては、首長は「くびちょう」では落ち着かないのではないでしょうか。「シュチョウ」と読み上げられ、もしかしたら「シュショウ」というように聞かれ、「俺は首相なのか、、」とほくそ笑むかもしれません。首相を「あべくびそう」と発音されるようになれば、官房長官が記者会見でさっそく苦言を呈するでしょう。

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二文字熟語と取り組む その33 「傾城」

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島原

「北方有佳人  絶世独立 一顧傾人城  再顧傾人国」
「北方に佳人有り、絶世は独り立つ、一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」

前漢の歴史を紀伝体で記した書。紀元後80年ころ作られたとあります。中国二十四史の一つです。漢書は一つの王朝に区切って書かれたといわれます。代々の王朝を通して描いたのが通史でその代表が「史記」といわれます。

「漢書」に外戚伝という、名前の通り家族や親族のことを記した文書があります。親に対する「孝」を重んじる儒教社会が中国。君主が人々に対する模範として、率先して母親やその親族に対して礼を尽くすべきことを記しています。そこに「傾城」(けいせい)の故事がでてくるのは興味あることです。

「傾城」とは、絶世の美女です。別名は「傾国」。もう一つは、太夫や天神など上級の遊女のことです。君主がその美しさに夢中になって、城を傾けて(滅ぼして)しまうというのです。色香におぼれて城も国も顧みないほどの美女、たとえば楊貴妃のような女性は、いつの時代にもいたのでしょう。「傾城」は別名、「契情」ともいわれます。音意共にうつした当て字です。

「傾城」にはいろいろなフレーズがあります。「傾城に誠なし」、「傾城に可愛がられて運の尽き」とは男性をおちょくるギャグです。
「傾城の恋はまことの恋ならで 金持って来いが ほんの恋なり」は、花魁や遊女の逞しさをうたっています。

二文字熟語と取り組む その32 「狷介」

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「狷介」(けんかい)をいくつかの辞書を調べると、「心が狭く,自分の考えに固執し,人の考えを素直に聞こうとしない・こと(さま)」、「自分の意思をまげず人と和合しないこと」、「自ら守ること厳しく妥協しない」とあります。「狷介な人物」とか「 狷介孤高」といった四文字熟語もあります。

「許は狷介の士なるも未だ尭の心に達せず」という例文もあります。許とは人の名前です。「尭」とは「さとる」「たかい」「けだかい」という意味です。「狷」 は分を守って不義をしない意、「介」はかたい意とあります。ということは、現在は多く悪い意味で使われるのですが、これとは異なるニュアンスがあります。興味あることです。

今日、心がせまい、気がみじかい、かたいじ、強情っぱり 、意地っぱり、 頑なといったように使われる「狷介」ですが、「自ら守ること厳しく妥協しない」、「指南または規律に抵抗する」という意味があったのですから、時代を経ると意味が変わってくることに少々驚きます。

二文字熟語と取り組む その31 「蹉跌」

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「蹉」の音符は「差」で高低の違いがあり、蹉はものにつまずくことを表します。足と差から会意兼形声となり、ちぐはく、という意味となります。

「跌」は (1) ふみはずす、足をすべらす、(2) たがう、あやまつ、道理からそれる、という二つの意味がああります。 「蹉」も「跌」も同義語という「言葉の仲間」であります。

「蹉跌」(さだ)はつまずく意から物事がうまく進まず、しくじることを表します。挫折。失敗。「計画に蹉跌をきたす失敗し行きづまることです。「蹉跌」には、時を失うとか不幸になるという意味もあります。なかなか難しい語です。

かつて大阪府北河内郡に蹉跎村というところがあったようです。どうしてこの町名がなくなったのかはわかりませんが、「蹉」と「跎」の字訓を調べたのだろうと推察されます。ですが珍しい地名が消えるのは少々寂しい気分になります。先達がどんないきさつで蹉跎村と命名したのかという考証が必要ではなかったでしょうか。ただ、今も枚方市立蹉跎小学校があるのは嬉しいことです。

二文字熟語と取り組む その30 「注進」

img_0 416804_137495110613155001761_600 789「事変を注して上に申し進めること、大事を急いで報告すること」と広辞苑にあります。「注進」は告げ口という含みを持って使われることもあります。発言や報告に対して非難する意味合いでも用いられます。

現在、「注進」の語を使う表現はあまり報道などでは聞かれなくなりました。その理由の一つですが、土地やその状況を調査し、その明細を注記して具申したものが「注進状」と呼ばれていました。それが見られたのは平安時代後期から室町時代にかけてということです。相当古いものですから聞かない訳です。

最近では、自分の意見に反論しない「イエスマン」で周囲を固め、知人などを通して二人の弁護士を特別調査委員に任命し、裸の王様になってしまった首長がいました。自分が裸だと気づかない、周囲にそのことを指摘する人間を置かなかったので「注進」するような調査はできなかったのです。「事件」はすっかり迷宮入りとなりました。大事な税金の行方をうやむやにしていいのでしょうか。ほくそ笑むのは一体誰でしょうか?

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二文字熟語と取り組む その29 「字統」

38053_M denpou_4 429再々度、白川静氏の著作についてです。「字統」という余り聞き慣れない辞書があります。「字源の解明を試みた書」とあります。漢字の構造を通じて字の初形と初義とを明らかにし、字源の字書である「語史的字書」であると著者は述べています。

今回の二字熟語は「伝法」です。「デンボウ」ともいわれます。字統によってその語源を調べてみましたが、なかなか面白いです。まずは「伝法」の意味です。次の四つから成るとしています。
1) 仏法で師から弟子に伝えること
2) 江戸浅草伝法院の下男などが寺の威光を頼んで、無銭で芝居や見世物などを見物する無法な振る舞いをした
3) 悪ずれして乱暴な言行をすること、無頼漢、ならずもの
4) いなせな態度、特に女が勇み肌をまねること

4) の意味から「伝法な口をきく」というフレーズが生まれます。男の言行をいうフレーズではありません。

「伝」という漢字は、「故郷を棄てて四方に仕官を求め、諸国を歴遊すること」とされます。やがて馬車を乗り継いで歩くさまから「駅伝」という語が生まれます。

「法」は犯罪者を海に投げ入れる古代的な刑罰の法を原義とするようです。刑罰の法、法則、法制を示し、法、規範の意となります。

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二文字熟語と取り組む その28 「奢侈」

o0600030012358060995 U7526P1503DT20131105164153 32098837_main_l「奢侈」には二つの様があります。第一は、度を過ぎて贅沢なこと、第二は身分不相応な生活をすることです。「奢侈に流れる」とか「奢侈な生活をする」といった具合です。

「奢」は訓読みでは、「おごる」とか「おごり」となります。「侈」は、もともとは、「居の周囲をめぐらす土堤のことで、他を侵し奢る意象の字」とあります。尊大を装って他を誇る、という意味です。意味を分解しますと、1) おごる、ほこる、他をあなどる、2) 多い、大きい、広い、はる、3) ほしいまま、みだら、度を超える、4) ひらく、はなれる、ほりがない、という意味だそうです。

「奢」に似た語に「傲」があります。「どちらも呪能を争うもので、奢るというのは本来は呪力を争う呪的な性格の語」とされます。必要程度や分限を越えた暮らしをすることが「奢侈」。

ついでですが、「贅沢」という語です。贅沢の「贅」は、お金に代わって使用する宝貝の「貝」に「余分」「有り余る」を意味する「敖」で、余計な財貨が有り余っていることを表した会意文字とされます。 贅沢の「沢」は、たたえた水を表し「つや」や「うるおい」を意味します。

おごっていてぜいたくなことが「驕奢」という語です。いずれも屋上屋を重ねる熟語です。それほど「贅沢三昧」をすることを表現しています。なんでもかんでも経費で落として「奢侈」や「驕奢」を楽しむと「贅肉」がつくのは請け合いです。

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二文字熟語と取り組む その27 「字訓」

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「字訓」という辞典ですが、読み物としても実に興味ある内容で一杯です。白川静氏が生涯をかけて完成した著作の一冊です。「漢字を国語として使用し、その訓義が定着する過程を検証する書」です。「訓義」とは訓として使われる意味のことです。もとより「訓」とは音訓の訓のことです。字訓が国語表記の方法として一般に認められ定着するとき、その字は「常訓」というのだそうです。

こうした訓義が定着すると字音の使用が可能となります。山川、森林、広大、など字音のまま国語化されていきます。訓義によって字の意味を理解すると漢字を国字として理解することが容易になります。字訓の成立が国字の鍵となるというわけです。

次回に紹介する「奢侈」という語です。「奢」は人の正面形で人が他を越える様です。そこから自分の地位や才能が人よりすぐれているとして、他に向かって誇る、高ぶっていることを表すというのです。「ぜいたくをする」という意味もあります。「侈」の訓読みは「おごーる」、「ほしいまま」。詳しくは明日のブログをご覧ください。

二文字熟語と取り組む その26 「悋気」

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「悋気」(りんき)とは通常「やきもち」といわれます。囲碁にも「やきもち」がしばしば登場します。相手の地盤に石を打ち込んで地を減らそうとしますが、逆に損をしたり召し捕られるという手、これが「やきもち」。「悋」の意味は、やきもちを焼くということです。

「悋気」は囲碁のやきもちとは違い、男女の間のやきもち、嫉妬を意味します。落語の定番が悋気です。悋気の演目としては上方落語の「悋気の独楽(こま)」や「悋気の火の玉」、「締め込み」などがあります。いずれも本妻とお妾との間で、うろうろする商家の旦那を可笑しく演じるのです。「悋気の独楽(コマ)」では、丁稚や女中が本妻の指示で旦那の後をつけるのです。「悋気の火の玉」では、本妻と妾が相次いで亡くなり、お化けや火の玉となって現れれ、旦那をおちょくる噺です。「締め込み」は間男を疑う旦那がコソ泥から真実を教えられて夫婦喧嘩が一件落着となる噺です。桂文楽名人の芸は悋気を見事に表現しています。

「悋」の訓読みは、「おしむ、ねたむ、やぶさか」とあります。「吝」とも書きます。物惜しみをすることから「悋嗇」という熟語がうまれます。細かいとかけちけちする事です。政治資金流用疑惑は、「吝嗇」ということに尽きるでしょう。

二文字熟語と取り組む その25 「睥睨」

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この熟語は目偏から成る似た意味の語を並べてあります。「へいげい」と読みます。「睥」はからだを低くかがめてのぞくこと、「睨」も子どものような目つきで下から睨(にらむ)ことを意味します。「邪めに見るなり」ともあるように、斜めに物を見ること、横目で見る、にらむという意で用いられます。古くは城の上の垣根も「睥(膰)睨」と呼ばれていたようです。高い所から敵をうかがい、隙あらばとにらんでいる様子が現在の使われ方に転じたと「字訓」にあります。

以上、要約しますと「睥睨」は二つの意味があります。
1  にらみつけて威圧し勢いを示すことです。 その例は「あたりを-する」といった按配です。
2  横目で,じろりと見ること。また,にらみつけることです。流し目に見ることという意味でもあります。

昔から、示威的態度とか 高圧的姿勢は国と国、人と人との間で使われた戦術です。従わせるために脅しとか睨みといった具合に権威を誇示するのが世の常。今日は1945年6月23日に沖縄戦が終結し、それを記念する慰霊の日です。