日本にやって来て活躍した外国人 その三十 ハンナ・リデル

近代日本の夜明けの時代、英国人の聖公会女性宣教師がやってきます。その一人に、英国聖公会の宣教団体の1 つである英国聖公会宣教会(Church Missionary Society: CMS) のハンナ・リデル (Hannah Riddell)がいます。前回紹介したコンウォール・リー(Mary Helena Cornwall Legh)も同じ教会に所属していました。

Hannah Riddell(右側)

そしてもう一人はリデルの姪で CMS の宣教師として来日したエダ・ライト(Ada Hannah Wright、1870-1950)です。ハンナ・リデルは、熊本の本妙寺で物乞いするハンセン病患者の悲惨な状況を見て、自らの全財産を処分し、回春病院を建てることになります。

彼女の業績は、ハンセン病患者の悲惨さに対して人々の関心を集めたことです。そして政財界の人々を動かします。当時の日本は、性や結婚には厳しい倫理観によって、分離政策をとっていました。彼女は数回草津を訪れ、1913 年回春病院の米原馨児という司祭を派遣し、光塩会を設立します。これは後の草津聖バルナバ教会です。また 1927年には、軽症のハンセン病患者で聖公会信徒の青木恵哉を沖縄に派遣します。彼は伊江島を拠点とし、洞窟や山に隠れている患者を発見し、食べ物や衣服を与え共に礼拝しました。

Ada Hannah Wright

こうした日本聖公会の努力によって、今帰仁村の近くにある屋我地島を基にして1938年に国頭愛楽園、現国立療養所沖縄愛楽園が誕生したのです。「母さま」と呼ばれ敬愛されたリデルは、1932年に76 歳で永眠します。

沖縄愛楽園

姪のエダ・ライトがリデルに代わって病院を継ぎます。開戦時にはライトはスパイ活動の疑いをかけられ、特高の取調を受けたりします。1941 年に46 年存続した回春病院は閉鎖され、患者は国立療養所(恵楓園)に移されました。その後ライトは国外追放となりますが、1948 年再来日し80歳の1950 年に永眠します。