イスタンブルとソフィアの旅から その9 歴史の栄華と衰退 その2 法学者とムスリム

本当に短いイスタンブルの滞在でした。にも関わらずトルコの宗教について感想を記すのは誠に口はばったいのですが、敢えてそれに挑戦してみます。トルコという国は宗教色が強く、それも多様な側面を示すというのが印象です。超越的な存在に対する態度、すなわち信仰の表れが随所に見られることです。礼拝や巡礼が盛んなのです。早朝から夕方まで5回の礼拝への呼び掛けアザーン(Adhan)がミナレット(Minaret)と呼ばれる塔から響き渡ります。モスクや寺院は町にも村のどこにもあります。そしていつでも開放されていて、ムスリム(Mulim)と呼ばれる信徒は両膝をついて拝礼する姿が見られます。礼拝前には清浄を重んじ、礼拝堂入り口付近には顔や足の洗い場があります。

モスクに入ると法学者とムスリムが礼拝堂で丸くなって対話しています。イスラムにはキリスト教会と違って聖職者はいません。いろいろな相談事を打ち明けているのでしょうか。ムスリム同士の相互扶助はイスラム教の大事な実践とされているとききます。ムスリムには五行を日常生活を通して実践する教えがあります。五行とは、信仰、礼拝、喜捨、断食、そして巡礼です。

もともとイスラム社会は正教一元論に立っています。それ故、イスラムには政教分離は存在しないはずです。しかし、トルコは憲法でイスラム教を国教とはしていません。オスマン帝国のサルタンは西欧化主義によって国を繁栄させようとしてきました。その代表はアタテュルクです。彼の影響は国の隅々まで絶大だといわれます。

興味あることは、トルコはイスラム教徒が95%といわれますが、イスラム法というものを一切使っていません。全部、ヨーロッパ法を使っています。完全に政教を分離したのです。その意味でトルコは「世俗国家」と呼ぶことできそうです。他方イランやサウジアラビアは正教一元論の国です。トルコでは政治的なイスラム主義、あるいはイスラム原理主義は極めて少数派のようです。

トルコにおけるエスノセントリズム(ethnocentrism)という自文化中心主義のことですが、他の宗教や文化を批判したり否定する態度はどうも少ないようです。寛容の教えがイスラム教にあるからだろうと察します。イスタンブルを歩くとイスラム世界というのは、私たちが抱くような峻厳な戒律の教えの国というイメージとはどうも違います。