日本人とユダヤ人  その33 終わりに

「Le Concert」という映画からこのシリーズを始めた。一見コメディ風だがロシアの政治体制や人種、マフィアなどへの風刺もきき、音楽の素晴らしさを交えながら、人種差別をはじめとする社会問題を掘り下げた味わい深い佳作である。特にユダヤ系ロシア人の気概が体制への批判やユーモアとともに描かれているのに新鮮さを覚えた。

「Le Concert」には、共産主義体制が瓦解し、生きるため、金儲けのために時代をしたたかに生きて行こうとする人を敵味方にする人々の生き様がある。そうした世俗の葛藤の中で、演奏中止に追い込まれたユダヤ人演奏家の怨念と執念が「なりすまし楽団」の結成と公演に込められている。ユダヤ系ロシア人の知恵や生きる力がエスプリ(esprit)、フランス人監督の才気や精神、知性によって描かれるのが見所である。Espritは英語でspirit、ドイツ語でGeistと表記されるが、もとより出典は聖書であり、「霊」とか「魂」という意味に近いと考えられる。この世にあまねく行き渡る預言や崇高な知恵であり神聖な力、質、影響力のこととされる。

「Le Concert」を思い起こして再度考える。われわれは共産主義とか民主主義とかをフレーズで知っていても、その実体はなにかを把握することは容易ではない。定義はもちろんあるが、そこに内在するものは複雑なような気がする。具体的な事例を示されれば、「なんだ、こんなことか」と理解することができる。筆者は叔父のシベリアでの死亡の背景を知ることで全体主義国家のイデオロギーや論理を探し当てたような気がする。「八紘一宇」という言葉を取り上げるのは、物好きに過去を掘り起こす趣味ではない。そのとき生きていた人々の心的傾向や行動を一定の溝の中に引っ張り込む心的な強制力を考えるのである。

「Le Concert」は、言葉で表し得ないような現実の実相を描いていて体制とか権力の鈍しさと、生きることの「崇高な知恵や神聖な力」を伝えてくれた。

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