日本にやって来て活躍した外国人 その十六 ヨーゼフ・ローゼンシュトック

日本で活躍した外国人にポーランド人が何度も登場します。今回もそうです。日本のクラッシク音楽界で忘れてはならない指揮者がいます。ポーランドに生まれ、ドイツとアメリカ、日本で活動した指揮者のヨーゼフ・ローゼンシュトック(Joseph Rosenstock)です。私もラジオから流れる音楽演奏のときに、この指揮者の名前が放送されていたのをよく覚えています。

Joseph Rosenstock

最初にローゼンシュトックを紹介するならば、NHK交響楽団の基礎を創り上げたユダヤ系の指揮者ということです。彼は、後に「斎藤メソッド」のモデルとなった指揮者の一人ともいわれます。「斎藤メソッド」とは、指揮者で音楽教育者として活躍した音楽家の齋藤秀雄の指導法のことです。日本のクラシック音楽を伸ばすためには、科学的根拠に基づく子どもたちへの早期教育のように基礎知識を施すしかないと主張した音楽家です。弟子の一人に小澤征爾がいます。

今や日本を代表するのはNHK交響楽団ですが、その前身は、新交響楽団と呼ばれ近衛秀麿が育ててきました。後任となる常任指揮者の候補に挙がったのがローゼンシュトックです。1936年頃のことです。ヨーロッパにおけるナチス・ドイツの台頭により、ユダヤ系の音楽家や芸術家はヨーロッパを離れて、安全な国へ移住しようとしていました。招聘を受けてローゼンシュトックはシベリア鉄道を経由して、1936年8月日本にやってきます。新交響楽団による歓迎演奏会を開いた後、同交響楽団の170回から第232回までのすべての定期演奏会を一人で指揮します。

小澤征爾と齋藤秀雄

ローゼンシュトックは、新響の楽員に基本的な奏法を中心とする厳しいトレーニングを徹底的に課したようです。楽員をして「過酷」と言わしめつつ、半アマチュア気分が抜けていなかった楽員の力量を向上させます。戦後は、日本を離れ、ニューヨークなどで演奏します。そして1951年5月にアメリカの音楽使節として再来日します。新交響楽団は日本交響楽団と改名し、さらにNHK交響楽団となっていきます。やがてローゼンシュトックはNHKから名誉指揮者の称号を贈られます。