アジアの小国の旅 その九十二 ミャンマー

ビルマの竪琴

ミャンマー(Republic of the Union of Myanmar)とききますと、私の世代ではビルマ(Burma)がぴんときます。 1885年から続いたビルマという国名は1989年にミャンマーと改名します。首都名も1948年から1989年まではラングーン(Rangoon)でした。1989年にヤンゴン(Yangon)となり、現在の首都はネーピードー(Nay Pyi Taw)となっています。

諸部族割拠時代を経て11世紀半ば頃に最初のビルマ族による統一王朝のパガン王朝(Pagan Kingdom)が成立します。その後、モンゴルの侵入(Mongol invasions)があります。モンゴルが去るとタウングー王朝(Taungoo dynasty)、コンバウン王朝(Konbaung dynasty)が生まれ、1886年にイギリス領インドに編入されます。戦後の1948年1月に民主国家としてビルマが独立します。

1962年3月にネ・ウィン(Ne Win)将軍に率いられたクーデター(coup detat)が起こります。それ以来ミャンマーは軍部によって支配されていきます。ミャンマーは多くの部族を抱え、部族間の対立や内紛が続いています。2015年11月に行われた総選挙アウン・アウン・サン・スー・チー (Aung San Suu Ky)議長率いる National League for Democracy:NLDが大勝し、側近のティン・チョウ(Htin Kyaw)を大統領とする新政権が発足します。スー・チー氏は,国家最高顧問,外務大臣及び大統領府大臣に就任します。

竹山道雄

ミャンマーにおいて約半世紀ぶりに国民の大多数の支持を得て誕生した新政権は,民主化の定着,国民和解,経済発展のための諸施策を遂行します。しかし、依然として軍部の後ろ盾による政権が続きます。2018年8月,ラカイン州(Rakhine)北部における治安拠点への連続襲撃事件が発生します。その後の情勢不安定化により,70万人以上のロヒンギャ(Rohingya)部族の避難民がバングラデシュ(Republic of Bangladesh)に流出します。ミャンマーはロヒンギャ民族の市民権を認めていません。世界中から人権問題として非難されています。スー・チー氏のノーベル平和賞受賞についても疑問が高まっています。