留学を考える その62 ウィスコンシン州–America’s Dairy Land

ウィスコンシン州の気候は内陸のために寒暖がはっきりして、夏は30度以上になることもしばしばです。冬の寒さといえば筆舌に尽くしがたいような日が何日も続きます。雪はそんなに深くは積もりません。風で吹き飛ばされます。
ライセンスプレートには「アメリカの酪農の地」(America’s Dairy Land)と記されています。そして納屋とサイロが描かれています。乳製品で有名な州です。2010年度の第45回スーパーボウル(Super Bowl)を制したグリーンベイパッカーズ(Greenbay Packers)の本拠はウイスコンシン。そのときファンがかぶったのがチーズヘッド(cheese head)というチーズをかたどった帽子でした。

沢山の種類のチーズが楽しめます。ワイン、麦酒に欠かせないおつまみです。酪農の地ですから、ステーキもまた格別です。分厚いフィレミヨン(filet mignon)はいいです。肉をグリルで「焼いて」ステーキソースをかけるのが一般的な食べ方です。どの家庭にも野外で肉を焼くグリルがあります。

ウィスコンシンは北欧やドイツの移民が多い州です。そのためソーセージ類もまた沢山の種類がつくられています。スパイスをきかせた肉がたっぷりな巨大なソーセージ(brats)は、「アメリカの酪農の地」の名に恥じないものです。ポーランドかドイツからの移民が持ち込んだのでしょう。スポーツといえばアイスホッケーが盛んで、どの高校にもホッケー部があります。氷上の格闘技です。

ウィスコンシンは私の研究の基礎をつくり、3人の子どもに教育を授けた忘れられない州です。今も娘二人がマディソンで子どもと生活しています。私と長男の嫁を含めると全部で学士から博士まで10の学位を頂戴しています。大分投資もしましたがそのリターンは計り知れません。

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留学を考える その61 ウィスコンシン州–French and Indian War

アルファベット順にアラバマ州(Alabama)から始まった高等教育機関の紹介もようやくウィスコンシン州(Wisconsin)にやってきました。アメリカ合衆国の大陸を東から西へ、北から南へと通ってきました。アラスカやハワイをいれると合衆国はとてつもなく広大な国です。人種も誠に地理、自然、気候、歴史など多士済々です。人種、文化、言語、宗教などの多様性を特徴とする国がアメリカです。まさにモザイックなのです。

ウィスコンシン州は北はカナダと国境を接し、東はミシガン湖が広がり、南はイリノイ州に囲まれ、西はミネソタ州とアイオワ州と隣り合っています。大昔、氷河が覆い、そのため土をけずって大小の湖ができました。氷河は石や岩を運びながらなだらかな丘陵もつくってきました。氷河がモレーン(moraine)と呼ばれる氷堆石を残したので、農場に岩や石があります。そのために平たい農場は少なく、酪農が盛んになりました。北海道に似た景色が広がります。愛称は「The やが State(あなぐま州)または「Dairy Land(酪農の地)」といいます。

場所は違いますが、モレーンの影響は今もブータンやネパールで見られます。それは洪水です。氷河の後退によってモレーンとの間に氷河湖ができます。ですが、温暖化の影響でしょうか、氷河の溶け具合が早く、モレーンの崩壊によって決壊し洪水を起こし、下流にあった村々に死者を出してきました。

ウィスコンシンにはもともとオジブワ族(Ojibwa)、ソーク族(Sauk)、チペワ族(Chippewa)、フォックス族(Fox)、キカプー族(Kickapoo)が住んでいました。ヨーロッパから多くの移民がやってきました。最初の白人は、フランス人探検家のニコレ(Jean Nicolet)です。1634年、カナダのジョージア湾(Georgian Bay)からヒューロン湖(Lake Huron)を経てカヌーでやってきたという記録があります。南からウィスコンシンにやってきたのはマーケット(Jacques Marquette)とジョリエ(Louis Jolliet)です。ミッシッピー川を遡って今のプレーリーヅシン(Prairie du Chien)というところに上陸します。1673年頃のことです。フランスが北米大陸を植民地化する政策の一環だったようです。フランス人はネイティブアメリカン部族を相手にした毛皮貿易商でもありました。やがて白人植民者によって部族は各地や追い遣られます。

時代は下り、1754年から1763年にわたり続いた植民地を巡るフランスーインディアン戦争(French and Indian War)の結果、イギリスが支援していた側が勝つとフランスが後退し、イギリスの統治が広がっていきます。とわいえ、フランス人が開拓してきたウィスコンシンには、今も多くのフランス語の地名や人名が数多く残っています。

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留学を考える その60 ウェストヴァジニア州—Mountain State

ウェストヴァジニア州(West Virginia)は、合衆国東部の州でアパラチア山脈(Appalachian Mountains)中に位置し、山の州(The Mountain State)という愛称で知られています。ライセンスプレートにこのフレーズが見えます。すべての地域が山岳内にあります。州都で最大の町はチャールストン(Charleston)となっています。北部はペンシルベニア州(Pennsylvania)、北部及び西部はオハイオ州(Ohio)、西部はケンタッキー州(Kentucky)、北部及び東部はメリーランド州(Maryland)、東部及び南部はヴァジニア州(Virginia)と隣りあっています。ウエストヴァジニア州は南北戦争時の境界州の1つといわれます。州は北軍か南軍につくかで激しく分かれた経緯があります。

ウエストヴァジニア州は景観の良い渓谷うあ豊富な自然資源に恵まれています。にも関わらず合衆国の州の中で経済的に最も恵まれない州の一つです。アーカンソー州及びミシシッピ州に次いで、1人当たりの収入が3番目に低い州といわれています。さらに平均世帯収入は最低という数字となっています。国勢調査局のデータがそれを伝えています。ウェストヴァジニア州の4年制大学卒の人口の割合は15%であり、合衆国内で最低となっています。貧しい人口が多いことを示しています。

この州経済の主要な資源のひとつは石炭です。中小規模の石油及び天然ガスも開発されています。農業は狭い平野に限定されています。山岳地帯のウェストヴァジニアはヨーロッパからの移民が入ってくる前は、ネイティブアメリカンの狩猟の場だったようです。自然とは対照的に貧しさのアメリカを感じるところです。

グレート・スモーキー山脈国立公園(Great Smoky Mountains National Park)は多くのハイカーを引きつける場所です。1971年にジョン・デンバーの「Take Me Home, Country Roads」(故郷への道)という歌が大流行しました。この歌詞は、デンバーがこの州をドライブしたときのことをモチーフにしています。

Country Roads take me home
To the place I belong
West Virginia mountain momma
Take me home Country Roads

田舎道が俺を故郷へ連れて行く
俺が育ったところ
ウエストヴァジニアは母なる山
田舎道が俺を故郷へ連れて行く

私のウェストヴァジニア州ですが、家族とジョージアからウィスコンシンへU-Hallを引っ張って引っ越しするとき、Interstate 79を通り、モーガンタウン(Morgantown)という町を通りかかりました。工業地帯の寂れた町並みを思いだします。

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留学を考える その59 ワシントン州—The Evergreen State

ワシントン州(Washington)は、太平洋西岸北部に位置しています。東隣はアイダホ州(Idaho)、南部はオレゴン州(Oregon)、北はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia) となっています。州都はオリンピア(Olympia)。最大の都市はシアトル(Seattle)です。東海岸で合衆国の州都があるWashington, D.C.とは地理的に対極にあります。大きな都市は、 スポケーン(Spokane)、タコマ(Tacoma)などです。兵庫県加東市とオリンピアは姉妹都市となっています。実に不似合いなのです。私は加東市に10年あまり過ごしました。

ワシントン州は豊かな木材資源に恵まれています。モミ(Douglas fir)、松であるponderosaとか白松、トウヒ(spruce)、ヒマラヤ杉(cedar)などを産しています。果物の産地でもあります。リンゴ、梨、ラズベリー、チェリー、ネクタリン、アプリコット、葡萄の他、スペアミントやホップ、アスパラガス、ポテトなども採れます。カリフォルニアと同様にワインの産地でもあります。水産資源も豊かです。鮭やニジマスなどが知られています。

ワシントン州は農業だけでなく、航空機、ミサイル、コンピュータ、造船、通信、金属加工、精密機械、食品加工、食品流通などの産業も盛んです。ボーイング(Boeing)、マイクロソフト(Microsoft)、スターバックス(Starbucks)、コストコ(Costco) 、アマゾン(Amazon)などの本社があります。

戦前、日本から多くの移民が渡ったのがワシントン州です。移民の大半は森林業や水産業の労働者となりました。人種差別も根深く残る頃です。「ヒマラヤ杉に降る雪」(Snow Falling on Cedars)という小説が1995年に作られます。作家はデイヴィッド・グターソン(David Guterson)。1954年の冬、日系アメリカ人漁師カズオは同僚を殺害した第一級殺人容疑で罪に問われます。地元新聞記者は、カズオの容疑を晴らす可能性の高い証拠をつかみます。彼自身は、幼馴染でカズオの妻であるハツエとの過去の恋愛関係に対する感傷を抱いています。さらに日系アメリカ人への厳しい偏見と第二次大戦という強い背景によって、新聞記者は得た証拠をどのように扱うべきかを苦しみます。Snow Falling on Cedarsは1995年のフォークナー(William Faulkner)賞受賞作品です。この小説は1999年に映画化もされます。

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留学を考える その58 ヴァジニア州–“Oh Shenandoah”

ヴァジニア州の大学についての二稿目です。ヴァジニア州にある「シェナンドー国立公園」(Shenandoah National Park)についての思い出です。合衆国の国立や州立公園にはバックカントリーと原生地域のキャンプ場が完備されています。シェナンドー国立公園のキャンプ場は、犬を受け入れています。トレイルを含むほぼ全ての地域に犬を連れてハイキングを楽しむことができます。障害者やお年寄りのアクセシビリティ(accessibility)も完備しているので、車椅子の人も存分にレクリエーションを楽しむことができます。広大な公園全体が原生自然保全地域(National Wilderness Preservation)となっています。

「シェナンドー」という呼び名は私にとって忘れない記憶につながります。北海道大学男声合唱団にいたとき歌った懐かしい曲の一つに「Oh Shenandoah」というアメリカの民謡があります。ほのぼのとした哀愁味がある曲です。独唱でも合唱でもいいのです。この曲の歌詞はいくつかの解釈があります。開拓時代、カナダ人やアメリカ人の毛皮の貿易商がカヌーでミズリー(Missouri)を超えてシェナンドー川にやってきたとあります。彼らはネイティブ・アメリカンの「Shenandoah」という酋長とその娘に出会います。そして是非この娘と再会して結婚したい、という願望を歌ったようです。
この曲の歌詞(Lyrics)をみてみましょう。

Oh Shenandoah,
I long to see you,
Away you rolling river.
Oh Shenandoah,
I long to see you,
Away, I’m bound away
‘Cross the wide Missouri.

Oh Shenandoah,
I love your daughter,
Away, you rolling river.
For her I’d cross,
Your roaming waters,
Away, I’m bound away,
‘Cross the wide Missouri.

シェナンドー川(Shenandoah River)は、ヴァジニア州とウェストヴァジニア州を流れるポトマック川(Potomac River)の支流となっています。

第3代合衆国大統領トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)の出身がヴァジニア州です。Jeffersonの邸宅がモンティチェロ(Monticello)にあります。1979年頃、長男が合衆国の歴史を学んでいたので「モンティチェロに是非いってみたい」というので、D.C.のモール(National Mall)を歩いたあとにこの地を訪ねたことがあります。モンティチェロはかつては奴隷プランテーションでもありました。

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留学を考える その57 ヴァジニア州–Mother of Presidents

ワシントンD.C.からポトマック川(Potomac River)を越えたところに位置するアーリントン郡(Arlington County)、そこからヴァジニア州(Virginia)は南西に広がります。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つ。南北戦争では南部連合(Confederacy)に属して合衆国軍(Union)と戦いました。州都はリッチモンド(Richmond)となっています。チェスピーク湾(Chesapeake Bay)は大西洋に面し、あちこちに独立戦争の戦跡が国立公園として保存されています。

ヴァジニア州は正式にはThe Commonwealth of Virginiaと呼ばれます。植民地時代から地域が共通した目標である独立に向けて共に発展する意思を表しています。この州からは、歴代8名の大統領を送り出しています。George Washington, Thomas Jeffersonらです。そのために、「大統領の母なる地」(Mother of Presidents)とも言われるほどです。D.C.の対岸の州内にはアメリカ国防総省(Pentagon)やCIA本部、アーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)もあります。

ウイリアムスバーグ(Williamsburg)は是非訪れたいところです。1690年代には植民地時代の首都でありました。1.5km x 1.5 kmのスペースに、入植当時に建てられた建造物はすっかり復元されて、植民地の面影を感じることができます。

ヴァジニア州フェアファクス郡(Fairfax County)の学校を何度も視察しました。フェアファクスはD.C.の隣で訪問に便利なこともあります。ヴァジニアは「Mother of Presidents」の名にふさわしい風格のある州です。美しい砂浜の海岸線やアパラチア山脈の谷間の街々、植民地時代や南北戦争の歴史で由緒のあるところです。空から見ると街々が森や木で覆われ豊かさを感じさせてくれます。

シェナンドー国立公園(Shenandoah National Park)は森と渓谷、ハイキングやキャンピングで知られています。ヴァジニア州のライセンスプレートはいろいろなデザインがあります。うっそうとした豊かな森や清流の自然や生態系を反映して、デザインには野鳥などを配置しています。次回にシェナンドー国立公園にまつわるエピソードを紹介します。

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留学を考える その56 ヴァモント州—Green Mountain State

ヴァモント(Vermont)州はアメリカ合衆国北東部のニューイングランド(New England)地方の内陸にあります。北はカナダのケベック州(Quebec)に、東はニューハンプシャー州(New Hampshire)、南はマサチューセッツ州(Commonwealth of Massachusetts)、西はニューヨーク州(New York)に隣接しています。州都モントピーリア(Montpelier)は全米で最も小さい州都といわれています。最大の都市はバーリントン(Burlington)なのですが、この町も全州の中での最大の都市を並べてみると最も小さい都市といといわれています。少々可笑し味があります。それだけ小さい州というわけです。バーリントンはカレッジ・タウンと呼ばれるほど大学が集まっています。

ヴァモント州最大の産業は観光です。畜産業も盛んです。観光客の多くはインターステート(IS)で数時間の距離にあるニューヨークやボストンからやってきます。豊かな自然を売りにしてスキー、サイクリング、キャンプ、フィッシングの鱒釣りなどが盛んです。秋はりんご狩りなどに大勢の観光客が訪れます。この州で忘れられないのはメープル・シロップ(Maple syrup)の生産です。全米で最大の生産量を誇っています。サトウカエデの樹液を集めて精製します。シロップの琥珀色は薄いほど高級となります。メープル・シロップは熱いワッフルやパンケーキなどにかけてバターと一緒にいただくと最高ですね。

州の多くは山岳と森林で占められています。気候は内陸性ですから夏は暑く、冬は相当「しばれ」ます。ニューイングランドの紅葉は格別です。州の愛称は「Green Mountain State」でこれがライセンスプレートに書かれています。プレートも緑色でこだわりを感じます。

かって家族と一緒にカナダを旅してからモントピーリアを通りました。小さな議事堂のロタンダ(rotunda)といわれる中央のドーム内は州の博物館となっています。小さなバーモントの歴史は、イギリスからの独立をヴァモントが宣言した1777年以来の州つくりと大自然との共存の歩みといえましょう。

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留学を考える その55 ユタ州–Greatest Snow on Earth

このブログでは、いつの日か機会を見つけて若い人に留学を勧めたいということを主張しています。人生にとってこうした経験は必ずやプラスになることを信じて疑いません。いろいろな人と出会い、文化と接し、異なる角度から物事を考える機会となります。もちろん大学での学びは将来の仕事につながります。

話題は戻ります。ユタ州(Utah)の州都、ソールトレイク・シティ(Salt Lake City)に近づきますと、地上は真っ白。その名の通り塩の大地が広がります。しかし、州の中央部には海抜三千メートルの山脈があり、北海道のような粉雪で深く、世界的に名高いスキーリゾートとなっています。ユタ州の西部は起伏が続いています。ですが大部分が不毛の砂漠となっています。岩だらけの風景の中にひときわ目立つのがモニュメント・バレー(Monument Valley)です。しばしば西部劇の映画などで登場しました。

ユタ州は「末日聖徒イエス・キリスト教会」、俗称モルモン教会(Mormon)の発祥の地といわれます。長老であったブリガム・ヤング(Brigham Young)とその開拓者集団は、1847年7月にイリノイ州から今のソルトレイク・バレー(Salt Valley)に定着して発展していきました。現在でもモルモン教徒が全州人口の約60%を占めているといわれています。敬けんで穏やかなモルモンの人々が育んできた風土の影響で、全米でも治安も良いことで知られています。ユタ州立大学(Utah State University)のあるローガン市(Logan)は小規模都市を含めて全米一位の治安のよい町といわれます。

ソールトレイク・シティでは、モルモン教会の合唱がお勧めです。この合唱団は「Mormon Tabernacle Choir」といいます。神の幕屋教会合唱団と訳しておきます。世界一流オーケストラとの数々の共演や世界各地での演奏会で知られています。リハーサルは毎週木曜日午後8時から開かれ、その後に聴衆からの質問のやり取りがあります。ユタ州立大学を訪ねたついでに、このリハーサルの日時を確認してから練習を聴きに出掛けました。オルガンも素晴らしいものです。練習を公開するのはいいですね

ユタ州のライセンスプレートには、「Greatest Snow on Earth」、「世界で最も素晴らしい雪」と印字されています。塩と雪の白さで観光客が魅了される州といえましょう。州の愛称は「蜜蜂の巣の州ーBeehive State」となっています。

高等教育機関ですが、宇宙工学などの研究で知られるユタ大学(University of Utah)、 農業工学分野で強い研究のユタ州立大学(Utah State University)、合衆国最大の私立大学の一つでモルモン教会立のブリガム・ヤング大学(Brigham Young University)、リベラルアーツ教育のウエストミンスター・カレッジ (Westminster College)などがあります。

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留学を考える その54 テキサス州–The Lone Star State

テキサス州(Texas)はアメリカでは第二の面積を占める南部の大きな州です。1836年にテキサス共和国として一方的にメキシコから独立を宣言しますが、同年メキシコ軍の攻撃により敗れます。入植者がたてこもって抵抗した拠点がサンアントニオ(San Antonio)にあるアラモ砦(The Alamo)。デビー・クロケット(Devy Crocket)、ウイリアム・トラビス( William Travis)など指導者の名前が浮かんできます。映画も作られました。映画といえば「ジャイアンツ–Giants」。ジェームス・ディーン(James Dean)が懐かしい。

現在の州都はオースチン(Austin)ですが、近年特に人気が高い町がリバー・ウォーク(River Walk)のあるサンアントニオです。リバー・ウォークは小さな河の両岸にレストランが並んでいます。散歩、船下りが楽しいところです。今や年間1,000万人以上が訪れる全米有数の観光都市としても知られています。その人気もあって研究者を集める多くの学会もここで開かれています。

ブッシュ大統領(George Bush)親子やジョンソン大統領(Lyndon Johnson)はテキサスの出身です。メキシコ湾や内陸部に油田が多く、エクソンモービル(Exxon Mobil)などの石油会社の本社があります。カウボーイ文化に象徴される放牧業や畜産業でも知られています。アメリカン航空、コンチネンタル航空、AT&Aなど多くの企業の本拠地となっています。カリフォルニア、ニューヨークと並ぶ商業や経済の中心です。

ライセンスプレートには「The Lone Star State」とあります。メキシコからの独立という願いとして、テキサスの州旗に白い星を一つあしらったといわれています。これがLone Starの由来です。 オースチン市内の学校を見学したことがあります。引率の女性教師はピックアップトラックで案内してくれました。別な機会にサンアントニオへは学会発表で行ったのですが、不遜ながら発表を適当に切り上げてアラモ砦を見学し、リバー・ウォークへ向かいました。

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留学を考える その53 テネシー州—Volunteer State

テネシー州(Tennessee)はケンタッキー州(Kentucky)、ミズーリ州(Missouri)、ヴァージニア州(Virginia)など8つの州と接しています。最大の都市はメンフィス(Memphis)。州都はナッシュビル(Nashville)となっています。「チュチュトレイン」のチャタヌガ(Chattanooga)もこの州にあります。アパラチア山脈(Appalachian Mountains)を中心とするグレート・スモーキー山脈国立公園(Great Smoky Mountains)はハイカーが押し寄せるところです。産業では、タバコ、綿花、そして大豆などの農産物が有名です。

中学生時代の社会科の教科書に「テネシー計画」についての記述がありました。1933年にルーズベルト大統領(Franklin Roosebelt)が、ニューディール(New Deal)政策の一環として、テネシー川流域の総合開発を目的とした世界最初の地域開発といわれています。テネシー川流域開発公社(Tennessee Valley Authority: TVA)が主体となり、多くの多目的ダムなどの建設によって、膨大な雇用を創出したプロジェクトです。丁度世界恐慌のときです。中学生ながら、「いつかテネシーへ行ってみたい」という思いを持ったものです。

テネシーはカントリーウェスタン(Country Western)の発祥の地です。すでに紹介したエルヴィス・プレスリーもここの出身。彼が主に音楽活動を行ったのがメンフィス(Menphis)です。70代以上の方にはテネシー・ワルツ(Tennessee Walz)が懐かしでしょう。1950年にパティ・ペイジ(Patti Page)が歌い世界的なミリオンセラーとなります。日本では江利チエミが歌います。カントリーミュージックの影響が強い歌です。

ナッシュビル(Nashville)にも沢山の南部のライブを楽しめるところがあります。その響きはBluegrassと呼ばれるアコースティック音楽のジャンルです。演奏にはギター、マンドリン、フィドル(ヴァイオリン)、ギターなどの楽器が使われます。アパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(Scotch Irish)といわれる北アイルランドやスコットランドから移住した人たちの伝承音楽をベースにしているようです。Bluegrassはアップテンポの曲が多く、楽器には速弾きなどの即興演奏(インプロヴァイズ)もあります。もちろん、ブルース感を表現する弾き方やハーモニーにも特徴があります。ナッシュビルに来たら必ず本場のBluegrassを楽しむべきです。

テネシー州のライセンスプレートには「Volunteer State」とあります。1800代のBattle of New Orleansに人々が駆けつけてきことに由来しています。この戦いでイギリス軍を破り、ルイジアナ(Louisiana)やテネシーが植民地から解放されていきます。

テネシーの高等教育機関です。バンダービルト大学(Vanderbilt University)、テネシー大学(University of Tennessee-Knoxville)、テネシー州立大学(Tennessee State University)などが研究中心の大学です。ベルモント大学(Belmont University)、 長老派教会(Presbyterian Church)が経営するロードカレッジ(Rhodes College)も入学が難しいリベラルアーツの大学です。授業料や生活費が他州に比べて安いのが魅力です。是非テネシーへの留学を考えてください。

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